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モスコー(Moscow)は、アメリカ合衆国アイダホ州北西部、ワシントン州との州境付近に位置する都市。同州レイタ郡の郡庁所在地である。人口は21,291人(2000年国勢調査)。アイダホ大学が本部キャンパスを構える大学町として知られている。ワシントン州東部からアイダホ州北西部にまたがる穀倉地帯に位置することから、地域の農業および商業の中心地でもある。 モスコーはその立地から州都ボイシよりもワシントン州東部とのつながりを強く持っている。特に約10km西に位置するワシントン州立大学の大学町プルマンとのつながりが強い。アイダホ大学とワシントン州立大学は学術面をはじめとして多方面で交流を有している。モスコーとプルマンはともに玄関口となる空港を共有している。またコー・ダリーンなど州北西部の他地域同様、モスコーはワシントン州と同じ太平洋標準時間帯に属している。 ==歴史== この地に入植者がやってきたのは1869年のことである。この一帯に自生していたユリ科の植物が豚の飼料として適していたことから、入植者たちはこの地をホッグヘブン(Hog Heaven)と呼んだ。その3年後、1872年に郵便局が設置されると、町内を流れるパラダイス川にちなんでパラダイスバレー(Paradise Valley)と呼ばれるようになった。現在のモスコーという名になったのは1875年であった。 市名の由来については諸説があるが、ロシアの同名の都市にちなんでいるという説はあまり有力ではない。代わりに有力な説とされているのは、町名を決めるべく入植者5人が集まった際に、郵便局長サミュエル・ネフ(Samuel Neff)が、「兄弟愛の街」という意味を持つモスコーという名を選んだというものである。ちなみに、ネフはペンシルベニア州モスコーの生まれで、後にアイオワ州モスコーに移り住んでいたが、この事実が町名の決定につながったかどうかは定かではない。 1875年にダウンタウンが形成されると、町は交易拠点として発展していった。1885年にユニオン・パシフィック鉄道が開通すると人口が急増し始め、1890年には人口2,000人を数えた。同年、町には2本目の鉄道となるノーザン・パシフィック鉄道が開通した。さらに同年7月には、アイダホ州が連邦43番目の州になった。1892年には、その3年前に創立されたアイダホ大学が開学した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モスコー (アイダホ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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